学校での解剖、JAVAの問題指摘後、3校が中止に!

<教育プロジェクト>

いまだ続けられている学校での解剖
JAVAの問題指摘を受け入れ、3校が中止決定!

学校での解剖実習は、以前より減ってきたとはいうものの、まだまだ続けている学校があります。解剖を行おうとする教師たちは「生き物を解剖させて、生徒に命の尊さを学ばせる」と主張しますが、動物を殺して、切り刻んだりしても命の大切さを知ることなどできません。

先日も、中学生がハクチョウを撲殺するといった許し難い事件が発生しました。命の教育の重要性が叫ばれる今、JAVAに3つの学校の解剖に関する通報が相次いで寄せられました。JAVAは学校に対し中止するよう、強い態度で臨み、その結果、3校全てが解剖を中止しました。

【1】高校の文化祭で鶏の死体の解剖
ある県立高校の生徒さんたちから、「文化祭で科学部が鶏の死体を解剖する予定です。抗議しに行ったのですが、先生が聞く耳を全くもってくれません。どうかJAVAからも中止するよう要請してもらえませんでしょうか。」といった通報が入りました。

【2】中学一年生の理科の授業でネズミの解剖
ある私立中学校でネズミの解剖が毎年行なわれているという通報が生徒さんたちや保護者の方たちから入りました。 詳しくは以下の通りです。

  •  解剖は、中学一年生の「理科Ⅱ」の授業で毎年3月に行なわれている。
  •  教諭がネズミを薬で殺して、生徒4人に1匹のネズミが渡される。
  •  生徒たちがネズミのお腹を切り、各臓器の位置や形の確認、肋骨を切り取り、心臓の確認、小腸の長さの計測などを行う。
  • 一クラスが約35名なので、一クラスで約10匹殺す。一学年は6~7クラスなので、合計約6~70匹のネズミが毎年殺されている。
  • 教科書に「解剖」についての記載はない。生物の教諭たちの「人体のしくみの学習の一環なので、哺乳類を解剖しないといけない」という考えで行なっている。
  • 解剖には、「命の大切さを教える」という目的もある。
  • 泣き出す女子生徒も多数いる。
  • 解剖を強制され、解剖以外の方法はまったく提示されなかった。必修科目であり、皆、単位のことが心配であることから、休んだり、ボイコットすることができなかった。

【3】女子高の生物の授業でブタの眼球の解剖
ある県立女子高校でブタの眼球の解剖が行なわれるという、次のような通報が保護者の方たちから入りました。

  •  解剖は生物の時間に行なわれる。
  • ブタの眼球を使い、生徒たちが解剖する。
  • 「生き物の体の器官を調べ、命の大切さを教えるため」と学校は主張している。
  • 解剖をすることを嫌がっている生徒が多数いる。
  • 心を痛めている生徒がいるのに、学校は気づいておらず、また、知ろうともしていない。

解剖は国際的な流れに逆行している
動物を使った実験・実習については、『3つのRの原則』(Replacement:動物を使用しない実験方法への代替 Reduction:実験動物数の削減 Refinement:実験方法の改良により実験動物の苦痛の軽減)の遵守が国際的な流れとなっていて、学校などの教育機関も例外ではありません。
中等教育における解剖実習に関する見解について、JAVAが文部科学省に問合せたところ、『最近は、解剖実習ではなく、有効なビデオ教材などを使って命の大切さを指導するという傾向になっている。動物の解剖を実施する学校は、全国的に減少してきている』との見解でした。また、教育課程の変更にともない、中学校の学習指導要領には、「解剖」という言葉はなくなっています。このような改善がなされてきたのも、「生命尊重の観点からみると、生命をモノとして扱う解剖実習が、青少年にとって好ましくない」という認識が浸透してきた結果と言えます。
欧米では、大学の獣医学部や医学部においてさえ、「動物を殺す非人道的な教育を拒否する権利」を多くの学生たちが主張し始めた結果、動物実験を廃止して代替法を用いる学校が急増し、実際、アメリカでは、大学の獣医学部の60%以上、医学部の80%以上が動物実験をしないで卒業できるようになっています。
また、初等中等教育での生きた動物の解剖実習や、大学以下の学校での動物の死体の解剖を禁止している国もあるほどです。

死体の解剖にも、大きな問題がある
「死体なら、殺すわけではないので問題ないのではないか?」「ブタの眼球の解剖は、食べるために殺した動物を、食べるだけでなく解剖材料としても有効利用している」と考える方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、いくら死体であっても、小中高校生という多感な時期の生徒に生き物の体を切り刻むという行為はさせるべきではないでしょう。また、生徒たちがやりたくないと思うのは当然の感覚ではないでしょうか。

98年に東大阪市の小学校の教諭が交通事故死した猫の死体を学校に持ち帰り、児童の前で解剖を行ったという問題がありました。泣き出したり、気分を悪くしたりする児童もいて、保護者が市の教育委員会に抗議をし、大きく報道されました。報道で知ったJAVAも教育委員会に要望書を提出しました。
そして、教育委員会からは、「たとえ死体であっても児童の前で解剖するという行為は許されるべきではない。厳しく対処する」と回答がありました。

児童や生徒が事故死した動物を発見した場合には、解剖の対象として見るのではなく、命あったものとして、慈しみ、埋葬するなどの優しい対応をしてくれることを期待せずにはいられません。
命の大切さは、モノのように動物を切り刻むことでわかるものではなく、保護したり、愛情を持って育てること、またその過程を経て死を受け入れることで学ぶものと考えます。

 解剖は、生徒の心を蝕む
3校のケースに共通することは、いずれも解剖を嫌がっている生徒がいるという点です。そういった生徒たちの意思など無視して、「人体のしくみの学習の一環なので、哺乳類を解剖しないといけない」「生きた動物を解剖することで命の大切さも学べる」という歪曲した考え方によって、解剖を強制しているのです。

このようなことは中学・高校という人間形成にとって最も重要な時期の教育を担う教育者の自覚を欠いており、到底、見過ごせるものではありません。

命ある生きた動物たちや、かつて命あった動物の死体を、人間の好奇心を充たすための道具として、まるで機械の構造でも調べるかのように、殺し、内臓を見たり、取り出すといった行ないは、残酷極まりなく、教育の名を借りた一種の犯罪行為と言えるのでしょう。それを生徒たちに強制するということがどういうことなのか、そして、どれだけ生徒たちの心に悪影響を与えるか考えた場合、到底解剖実習などできるはずがありません。さらに、解剖実習がきっかけになって、小動物への虐待行為、さらには人間に対する犯罪へとエスカレートする危険性は多いにあり、「自分さえよければ、他者には何をやっても良い。特に弱者は刃向かってこないからやりたい放題できる」などといった自己中心の身勝手な考えを正当化させる可能性もあります。
教育において、「観察する」「しくみを調べる」ことの大切さを否定するつもりはありませんが、それは、痛みのともなわない、機械やモノに対してのみ許される行為です。

命の犠牲がなく、知識も身につく「代替法」がある
生き物の体の仕組みを学ぶ方法には、生体や死体を解剖する以外にも、コンピューターを使用した学習法、ビデオ、3Dの模型など様々あります。

そのような代替法を使用すれば、解剖の過程を何回でも繰り返しでき、また生徒一人一人が自分のペースで解剖を行なうことができるなど、多くのメリットがあります。
そして、解剖を行った生徒と代替法で学んだ生徒では、その知識に差はない、もしくは、代替法で学んだ生徒の方が優秀であったことが、数多くの研究で証明され、論文も発表されています。
つまり、学校側が、生徒たちに生き物の体の仕組みを学ばせ、知識を身に付けさせたいと真剣に考えているのであれば、こういった代替法を用いるべきなのです。

3校の解剖、中止となる!
このようなことから、JAVAは、3校の校長に対し、上記のような命を犠牲にする教育の問題点を指摘し、解剖を行わないことを強く求めました。
後日、3校からは、「解剖は実施しない」旨の回答がありました。

(JAVA NEWS No.81より)

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